「老子に学ぶ」シリーズ
「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。
今回は 第47章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第47章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
戸を出でずして以て天下を知り、
牖を闚わずして以て天道を見る。
其の出ずること弥いよ遠くして、
其の知ること弥いよ少なし。
是を以て聖人は、
行かずして知り、
見ずして名らかに、
為さずして成す。
老子 第47章
すこしわかり易いかも?
何となくわかるだけに、ん?って感じです。。。
こんな意味かな…
部屋を出なくても世の中の事がわかるし、
窓の外を見なくても天の動きがわかるんだ。
遠くに行けば行くほど、
「道」の事は解り難くなるんだよね。
だから聖人は
何処にも行かないでわかり、
何も見ないで明らかにして、
何もしないで成し遂げるんだよ。
つまり
今回、僕はこの章で…
アレコレやるほど
「道」から遠ざかる
…と言うトコロまでは良いんですが、
だからと言って、何処にも行かず、
何も見ないで、何もしないで成し遂げる
モノって、果たしてどうなのかな?
と感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。