「老子に学ぶ」シリーズ
ここ最近は「老子」を読みながら、そこで学んだ事や感じた事について書いてます。
今回は 第20章です。
※本記事は「老子の解説」ではありません。あくまでも僕が読んで感じた主観的な「思うこと」を書きます。身勝手で主観的で間違った解釈が含まれている事も、当然あります。
そんな部分は、是非とも温かい目で「スルー」して頂ければ、助かります。※
Start [老子 第20章]
さて、どんな事が書いてあるのでしょうか…
学を絶たば憂い無し。
唯と阿と、相去ること幾何ぞ。
善と悪と、相い去ること何若ぞ。
人の畏るる所は、畏れざる可からず。
荒として、其れ未だ央きざる哉。
衆人煕煕として、
太牢を享くるが如く、
春、台に登るが如し。
我れ独り怕として、
其れ未だ兆さざること、
嬰児の未だ孩わざるが如し。
乗乗として、帰する所無きが若し。
衆人は皆余り有り、
而れども我れ独り遺しきが若し。
我れは愚人の心なる哉、
沌沌たり。
俗人は昭昭たり。
我れ独り昏たるが若し。
俗人は察察たり、
我れ独り悶悶たり。
忽として、其れ海の若し。
漂として、止まる無きが若し。
衆人は皆以うる有り。
而れども我れ独り頑なにして鄙ひに似たり。
我れ独り人に異なりて、
食母を貴ぶ。
老子 第20章
うぅ~ん、相変わらず難解だし、チョッと長いですね。
こんな意味かな…
学びをやめれば心配事が無くなるよ。
「はい」 と「コラ!」、「美」と「醜」
どれほど違うっていうのかな?
皆が恐れる事を、恐れないワケにはいかないね。
「道」っていうのはどこまでも果てしないよ。
皆はまるで、
浮かれて宴会の御馳走を楽しむようだね。
春に丘の上から景色を眺めるようだね。
自分だけが、
静かに何の気持ちも起こさずに、
まだ笑いもしない赤ちゃんみたいだよ。
疲れて、帰る家もない人みたいだよ。
皆にはゆとりが有るのに、
自分だけが貧しい人みたいだよ。
自分は、ココロが愚かで何も分からない。
周りの皆は眩いのに、
自分だけがぼやけてる。
皆は目端が利くのに、
自分だけがザックリで大まかだよ。
静かな海みたいだな…
強い風みたいに、止まることも無い。
誰もが皆、優秀なのに、
自分だけがドンくさいんだ。
自分だけが皆と違って、
「道」ってヤツを
大切にしたいと想ってるんだな…
つまり
今回、僕はこの章で…
「道」を大事にする事は
皆の普通が、普通じゃ無くなる
…と言う事なのかな、と感じました。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。